子どもは誰のもの? 【弁護士 坂本 隆浩】

<子どもをめぐる事件ってなに?>

 当事務所では,身近な法律問題について知ってもらおうという法律連続フォーラムという企画を開催しています。私も「家事事件-子どもはだれのもの?子の奪い合い・親権者変更・面会交流をめぐって」として2014年7月に話をしました。離婚事件などのからみで子どもをめぐる事件が比較的多かったことが理由です。

 未成年者がいる場合の離婚では親のどちらか一方を親権者に決めなければならないけれども両親とも親権者になりたがっている,親権者は決まったけれども子どもが親権者のもとに行こうとしない,親権者にならなかったとしても子供と会いたい(面会交流)など,なかには難しい問題になることもあります。

 

<深刻な問題に>

 離婚したにしろ何にしろ,子どもにとっては大切な親であることに変わりはありません。その大切な親が自分をめぐって争っていることを知った子どもはどんな思いでいるでしょうか。親が真剣に自分のことを思ってくれているために争っているのだから,自分は幸せだと思うでしょうか。とてもそうは思えません。大切な親が自分をめぐって争うなんてやめてほしい,極端な場合,争いの原因になっている自分を消し去りたい,と思うこともあるのでないでしょうか。親が激しく争っている場合には特にそう思ってしまうような気がします。

 

<法的に認められるなら何でもいいのか>

 親権者が子どもを引き渡せと請求することがあります。裁判で請求することができます。引き渡せという裁判所の判断に従わなければ,その後は子どもの引き渡しの強制執行となり,それもうまくいかなければ,引き渡しまで1日当たり3万円を支払えという間接強制という手段もあります。間接強制にもしたがわなければ給料等の差し押さえです。これらは法的には許されているものです。

 でもちょっと待ってください。法的手続きを取る前に,親はどうして自分の思いが実現できないのか考えたことがあるのでしょうか。相手の親の意思のみで子どもを引き渡さないというのであればともかく,よくあるのは子どもが自分をきらっているということです。そうであれば,どうして嫌われたのかを考えたことがあるのでしょうか。

 子どもが自分をきらう理由になる事実について,親としては否定したいのは当然でしょうし,子どもとしても受けた仕打ちを思い出したくもない,裁判所の調査官にも言いたくないということもあります。そんな時,裁判所は子どもの引き渡しを認めることがあります(認めることが多いのではないでしょうか)。その結果,子どもの引渡の強制執行にはなるが,子どもは頑として親権者のもとに行こうとしない,親権者がいることを知ると泣き叫ぶということもあります。結局,強制執行は不能として子どもの引渡を実現できないままに終わります。こんなことになるなんて,もしかしたら子どもの引き渡しを認めた裁判所の判断が誤っていた可能性はないでしょうか。親権者としては,権利として認められた,裁判所でも認められたということではなく,子どものために何がいいのかを考えるべき時と思います。その後の間接強制なんて子どもの気持ちを自分から離れさせるだけのようにも思います。

 

<どうしてこんなことを書くのか>

 ここまで書かれたことは抽象的で分かりにくいと思います。なかなか具体的に書くと差し障りがありそうなものですから・・・。

 でも言いたいのは,裁判所で認められたからいいというものじゃない,子どもは親の「もの」ではありませんよということです。子どもは一人の人格を持つものとして尊重されるべきものなんですよ,いずれは子どもから見放されますよということです。

 そんなこと当たり前じゃないかと反論されそうですが,その当たり前のことがわかっていない親がいると感じます。裁判所で自分の言い分が認められた,だから法的手段をとってもいいんだ,できるものは何でもやるという親がいると感じます。

 「離婚ビジネス」という言葉を聞きます。DV法を悪用して離婚理由をでっち上げて離婚を認めさせようとする弁護士の手法を言っているようです。インターネットで検索しても結構出てきますから,実際に一部の弁護士は使っているのでしょう。最近でも相手方の不貞行為の事件をDVと主張されました。

 子どものことから「離婚ビジネス」にまで話は広がりましたが,弁護士は,単に依頼者の「利益」を守るにしても,「利益」の中身を十分に把握しなければならないし,特に子どもにとって何が大切かを考えて行動すべきと考える今日この頃です。